カテゴリー別アーカイブ: ICTと社会

Julius 音声認識テスト

最近、再び話題の人工知能にとって、やはり人々が期待しているのはコンピュータの持つ「人間らしさ」かと。

そもそも、コンピュータ・システムは「演算」、「制御」、「記憶」においては人間の力を遥かに超えた能力を持っているのですが、これの入出力の部分で、まだまだ人間との融合が難しく思われているのかも知れません。

昔、アニメや特撮なんかで出てきたコンピューターって、例えば「バビル二世」に出てきたものは塔の上の水晶球がピカピカ光って言葉を話していたりしておりましたが、当時の実際のコンピュータってものは音声認識なんて夢のまた夢みたいな感じで、パンチカードシステムだったりしました。

ところが最近のコンピュータは音声認識も随分と技術が進んで、ジャイアントロボや電人ザボーガーやバリブルーンも夢ではなくなってきたように思います。

今回、自作のソフトウェアに音声認識を組み入れてみようと、「Julius ( http://julius.osdn.jp/ )」というオープンソースの音声認識エンジンをインストールしてみました。

以下はデモ動画ですが、こちらはマシンに対してマイクを通じて「人数」を言葉で話して認識させるものですが、しっかりと認識できていることが確認できます。 非常に面白いですね。

これは辞書に1人から10人までの言葉を登録して実行させているものですが、この様子を見ていると様々な応用が出来そうです。

例えば、辞書に寿司ネタのメニューを登録しておけば、お寿司屋さんでのお客さんの声での注文が、自動的に注文票に登録されるなどのことが出来そうです。

この Julius の素晴らしいところは高い音声認識率もさながら、やはり何と言っても無償のオープンソースであり、各自で自由にカスタマイズしてソフトウェアに組み込むことが出来ることにあると言うことに尽きると思います。

公開元の Julius開発チームには心より敬意を表したいと思います。

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横浜・神奈川オープンデータフォーラム

2014年6月16日に横浜で行われた「横浜・神奈川オープンデータフォーラム」に行ってきました。

「何それ?」って、思われた方に簡単に説明をしますね。

2年前の 平成24年7月に我が国では、「電子行政オープンデータ戦略」というものが打ち出され、政府として所有している様々な統計データなどを単なる書類ではなく、コンピュータで処理できるデータの形で世の中に公開して行くことを打ち出しました。

これが何の役に立つかと言うと、このデータを利用して社会の様々な問題を発見したりすることが出来るのです。

簡単な例で言えば、自殺者の数、地域、年代に関するデータが行政から、書類ではなく、データの形でオープンになれば、このデータを様々な人々が解析し、自殺者の傾向をつかむことで対策が出来るのです。

とにかく、この流れは日本だけではなく、世界中で進み始めています。

今フォーラムに参加して、僕自身、この先、抱えきれないくらいの課題を頂いた気がしています。

それは、コンピュータ技術者の立場としてのみならず、我が国、日本の一員として、「より良い社会」を作ってゆくために、このオープンにされたデータを元に、様々な提言をして行こうと考えています。

発言もしてきました。 1:23:10 あたりから

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CJKV の発展と課題

皆さんは CJKV という言葉をご存知でしょうか?

これは、コンピュータ用語ではありますが、中国語(Chinese)、日本語(Japanese)、韓国(朝鮮)語(Korean)、ベトナム語(Vietnamese)の4言語の頭文字を連ねたものであり、コンピュータ業界でのテキスト処理におけるアジア圏を代表する4言語の呼称です。

ふと、この4つのアルファベットをご覧になって気がつくことはありませんか?

それは、この4カ国の間では、かなり多くの外交問題が起きているということです。

僕はいつも思うのですが、この一番の原因というのは、やはり国と国の間の「言葉の壁」が非常に大きいと思うのです。

コンピュータ業界のテキスト処理においても扱いが特殊とされるこの4言語ですから、それは尚更のことです。

そんな中、実は台湾(中華民国)国内においては親日が多数派であるという現実があります。

この最たる要因としては、台湾の国内には日本語や日本文化を理解できる人が多く存在することにあると思っています。

今、我が国の義務教育における外国語教育は英語だけですが、これからのアジア圏の平和と協調を思うのであれば、子供たちに対して、英語に加えてアジア圏の言語を1カ国でも選択で勉強出来るようにしても良いのではないでしょうか?

産業においてもグローバル化が進む現代、これからのアジア圏の平和を願うばかりです。

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ICT は社会のために

僕が学校を卒業して初めて社会人になったのは、1989年(平成元年)のことです。

実は、この当時の僕はIT技術者ではなく、総務人事の新人として事務方の仕事をしていました。

その頃の僕の先輩社員の中には「ワープロ」を非常に得意としている女性がわずかながら数人おり、彼女達には上司が頭を下げて仕事をお願いするという、ちょっとした特別待遇でした。

当時のワープロのスキルというのは大変貴重な技能であり、ワープロが打てる人というのはかなり「デキる」社員だったのです。

ただ、面白いことに現在の世の中においてはもう、ワープロなんて誰もが当たり前のように打てる時代になりました。

きっと「ワープロ検定1級」なんて資格を持っていたとしても、普通の会社の中では何の自慢にもなりません。

現代は、「ワープロが打てること」ではなく、「ワープロで打つべき文章がキチンと作成できること」に重きが置かれることでしょう。

もう、オジサンの上司が手書きの原稿をワープロ担当の女性に清書してもらう時代は終わったのです。

僕は同じようなことが、きっとこれから英語などの語学にも起きると思っています。

諸外国を相手に仕事をするためには、その国の人に伝える「何か」というものを自分で考え、それを自らの手で翻訳をしていくのがこれからの職業人のあり方であり、これが出来ない人(翻訳が出来ない人、翻訳しかできない人)同士の連携では仕事は成り立たなくなるでしょう。

では、ICT(情報コミュニケーション技術)はどうでしょう?

僕の勝手な持論かも知れませんが、 ICT とは結局、言語と同じように単なる「コミュニケーション技術」です。

きっとこれからの世の中、「ICTしか知らない人」と「ICTを知らない人」との連携で仕事をしてゆくスタイルは終わると思っています。

また、まさに現代は、一般の人達がコンピュータを使いこなすスキルを物凄いスピードで習得しつつあります。

そういう状況を考えると、 「ICTしか知らない技術者」はもう要らない時代が徐々に近づいているのです。

更に言うと、ICTとは、「社会を動かすため」のものであり、ICT技術者が社会を考えられなければ、きっと良い仕事はできないと思うのです。

これからの コンピュータプログラマは、「このプログラムがどんな風に社会に影響するのか」と言うことを常に考えられなければ、きっと時代に取り残されて行くことでしょう。

これは僕の杞憂でしょうか? きっとそんな事はないと思っています。

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Twitterの神々

本書が出版されたのは今から遡ること3年半の2010年12月です。

当時はまだ民主党の鳩山氏が総理大臣を努め、東日本大震災も起きていない状況でした。

この本を読んでいると、このたった3年半の間にも、我が国の情勢は大きく動いていることを強く感じました。

当時は我が国には Facebook はまだそれほど浸透しておらず、国内では芸能人や政治家などの有名人を軸にした Twitterブームであったような気がします。

僕自身、この1年前の2009年に横浜市内でこの Twitter のイベントに参加し、某ジャーナリストが Twitter を過大評価しては「Twitter の可能性は無限大で、これからは Twitter がOSにもなる」などと言うワケの分からない話などを苦笑しながら聞いておりました。

しかしながら昨今は、この Twitter の役割は現在、確実に Facebook に移りつつあり、Twitter は徐々に収束に向かうと僕は思っています。

この最たる要因は、140文字という制限の中では発信者のメッセージが伝えきれず、徐々に「誘導ツール」に移りつつあること、また、価値のないつぶやきの氾濫の中から、価値ある情報を見つけ出す難しさにあったのではないかと思います。

本書の中で田原総一郎氏は、Twitter を題材に様々な有名人と会話をしているのですが、Twitter について語っているのは、前半だけであり、後半は「ITと政治の話」に主が置かれています。

これはこれで非常に参考になり、特に楽天株式会社々長の三木谷浩史氏との対談の中での三木谷氏のIT力=国力という言葉はまさに同感でした。

早く国政の場にこのような考えをしっかりと持った人物が登場しないものかと思っていますが、残念ながらこの3年半、そこだけは我が国に劇的な変化は無い様に思われました。

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コンピュータとの出会い

京都の文房具店にて

 小学5 年生の秋のことだった。当時、仲の良かった村井君の家に遊びに行った時のこと。

 彼は鍵っ子で家に行くといつも両親がいない。なんだか自分にとっては羨ましい立場だったが、彼からすればきっと寂しかったんじゃないかとも思う。

 そんな二人が出かけたのは近所の文房具屋。結構大きい店でコクヨの看板の店だった。特に何を買うわけでもなく、店頭に並んでいる文房具を見るのは子供の僕らにとってはなかなか楽しい事だった。そんな二人の目の前にスゴイ機械を発見。

 店の人がお客さんにその機械の説明をしてるのだが、これがなんともレジのお化けみたいなヤツにカセットレコーダーと20 センチ四方くらいのグリーンディスプレイが付いている。で、画面の中では訳の分からぬ英語や数字がどんどん上方にスクロールしていた。

 村井君は「マイコンだよ!」と、僕に声をかける。で、二人で大人達のやりとりをしばし見学する。店の人がなんだかカセットテープを回して次の場面で僕らは最高に驚いた。

 なんとテレビゲームが始まったのだ!テレビゲームと言ってもそれは今からすると本当にお粗末なものだが…。グリーンモニターの中で明らかに人の形をしたキャラクターが手に何かを持っている。このゲームは「カトリセンコウ」というもので、天井から降りてくる蚊に刺される前にキャラクターの持っている蚊取り線香の煙を浴びせて退治するというもの。僕らはなんだか興味深々でその場に釘付けになった。しばらくするとお客は帰ってしまい、店員さんもどこかに行ってしまった。

 驚いたのはなんと、この村井少年は大人達のやりとりを覗き見していただけで、このマシンの操作方法を憶えてしまったのだ。僕はマシンをじっと眺めていたが村井君は「F5 を押せばいいだよ」と、キーイン。すると例の「カトリセンンコウ」が実行されるではないか。二人でものの5 分程遊んだだろうか?すると店の中から店員が慌てて飛んできた。で、いきなり電源を切ってしまったのだ。

 再び電源を投入しようとする村井少年。

 すると怖い顔で店員が彼の手を払って「子供が触るんじゃない!」と、怒って言った。怒られてスゴスゴと店を出る二人。店の前に止めていたお互いの自転車にまたがると、村井君は商店街の回り近所に良く聞こえる大声で「こんな店、もう来てやらへんわい!」と、叫んで自転車を漕ぎ出した。彼の予期せぬ行動に驚いた僕はなんだか焦ってペダルを漕いでその店を後にしたのを覚えている。

 でも、マイコンって凄かったなぁ…。

SHARP MZ-80
※写真は SHARP MZ-80 (WikiPediaより引用)

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生涯学習は誰がために

5月16日(金)の16時半ごろ、八王子市の生涯学習センター(クリエイトホール)7階事務所に伺いました。

目的は僕自身が、この生涯学習センターという場所で中高生向けのコンピュータ教育講座を開いてみたいとの想いがあることから、今現在、市民団体で行われている類似教育等の実態を把握するためでした。

受付カウンターで50代半ばくらいの女性に、「現在こちらで行われているパソコン講座について状況を知りたいのですが…」と、尋ねたところ、その女性がファイルを僕の目の前に広げて、いくつかの講座を紹介してくれました。

そこで、ある問題に気がついた僕は、その女性に質問をしました。

「対象者が『シニア向け』という制限のついたものばかりですが、『中高生向け』のものはないのでしょうか?」

と、言うと彼女は

「ここは生涯学習センターですから、高齢者向けのカリキュラムとなっております。」

とキッパリと答えました。

そう言われて、僕は非常に驚きました。 この施設や、ここで行われる講座は老若男女に関わらず、市民全員が活用すべきものであると考えていたからです。

もう一度聞き返してみました。

「生涯学習センターってのは、年輩の方向けのものなんですか?」

すると彼女は、

「ここで行うのは『生涯学習』ですから。 お子様たちは『義務教育』を受けてますので、教育は学校で行うべきですよね。」

と、返すので、僕はしばらくその場に閉口してしまいました。

僕の腑に落ちない様子を見てかその女性は、すぐさま

「違うんですか? 私、ここの正雇用ではないので間違っているかもしれません。 あとで上の者に確認してみます。」

と、言葉を続けました。 僕は彼女の立場も察しつつ、なんとか堪えました。

ただ、僕の気持ちとしては、実際に雇われている形式がどうであれ、受付業務を担当している限り、彼女はその施設の「顔」なのです。

「生涯学習」というものの意義や目的というのはしっかりと認識していて欲しかったというのが正直な心情です。

ただ、このちょっとした短いやり取りの中で、僕らの信頼関係はガラっと崩れてしまい、後は話になりませんでした。

僕が次の言葉を切り出して、

「過去に行っていたパソコン教室の経験を活かして、ここでもやってみたいと思っております。」

と、言ったところ、彼女はさも迷惑そうな表情を浮かべながら、

「ここの施設の講座に利益を望まないで下さい。」

と、何とも失礼極まりないことを言われてしまいました。 お金の話なんて一言もしていないというのに。

ある程度の情報は収集することはできましたが、それ以上会話をすると、更なる関係悪化を招きそうだったので、ここは引き上げることと致しました。

「これからの子供たちにコンピュータを通じて夢を持ってもらいたい」との僕の想いを実現させるには、小さなところから色んなことを解決しないといけないということが分かった気がします。

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「証拠がない」ことを証明するのは不可能!

PC遠隔操作事件の片山祐輔容疑者がようやく逮捕されました。

事件としては、これはこれで一段落ではあるのですが、僕自身、この事件には大変な問題が未解決のまま残ってると感じます。

それは、今回の捜査では、「コンピュータの通信記録から一連の犯行を立証できなかった」ということです。

容疑者逮捕の決め手は河川敷にスマートフォンを埋めている姿が確認されていること、そしてそのスマートフォンから容疑者のDNAが検出されたことであり、あくまでも片山容疑者の行動による物的証拠であるということです。

きっと彼が最後に、「あ、真犯人です…」のメールを送信するための工作を行わなければきっと、今回の事件は無罪判決となっていた可能性が非常に高かったでしょう。

今回、何よりも巧みであったのは、彼が「自分もPCを遠隔操作された」との主張を続けたことでした。

この主張は何よりも検察当局を苦しめたことに違いありません。

なぜならこの場合、検察は「容疑者のPCは遠隔操作をされなかった」ということを立証する必要があるのです。

しかし、「PCを遠隔操作された証拠を見つけるのは簡単なこと」ですが、「PCを遠隔操作されなかったことを証明するのは不可能」ということがハッキリした感があります。

僕も学生時代に法学で刑法を学びましたが、刑事裁判には「疑わしきは被告人の利益に」という原則があるのです。

片山容疑者のPCを遠隔操作された疑いは最後まで残ります。

その場合は、片山容疑者に有利なように判決は動かざるを得ないのです。

今考えると、本当に恐ろしい事件でした。

片山容疑者が蛇足を加えてくれて本当に良かったと思います。

昨今、PCにおけるセキュリティーが重要視され、通信経路も暗号化されることで、通信内容も他人から傍受されるリスクが少なくなりつつある一方、これを逆手にとった犯罪の可能性だって十分考えられると思います。

例えば産業スパイがスマートフォンを用いて企業の重要機密を写真に撮ったとしても、その写真データをデバイスに残さず暗号化通信の上、セキュアなクラウドサービスにアップしていたとしたら、例えその場で犯人を確保したとしても肝心な「証拠」が無いため、犯罪を立証することはできないでしょう。

実際にそんな機能をもつスマートフォンアプリを作るのは難しいことではありません。

ましてやカメラもスマートフォンのものでなく、Google Glassやコンタクトレンズ埋め込み型のカメラであった場合、その撮影の行為さえ、いつ行われているのか分からず、ますます犯罪の立証は難しいことになると思われます。

結局、世の中が便利になり、セキュリティーも強化されるほど、ネット犯罪は巧みさを増して行くものと思われます。

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